エド×よっしー。

 帰宅後、先ずテレビを付ける。エドざむらいがまとわり付いてくる、彼はお腹が空いているのだ。私は慣れた手つきで彼の口に錠剤を放り込み、給餌を行う。彼が食事をしている間にもう一つの薬の準備をする。猫には非常に飲ませにくいチューブに入った舐め薬なのだが、彼はこの薬が大好きで、置いておくと勝手に舐めてくれる。それが不幸中の幸いと言える。毎日二種類、計四回薬を飲ませる。彼はこの薬が無いと満足に排尿出来ない体になっているのだ。家は広いとは言えないし、更に病気持ちだし、心なしか薄幸そうな顔をしている様にも見える。果たして彼は幸せなのだろうか。
 猫の飼い方として、大まかに二種類に分けることが出来る。室内飼いと放し飼いである。ものの本には、室内飼いでも充分に運動は出来るし、自分のテリトリーを確保することが出来れば特にストレスは無いそうである。食事も自分で確保する必要も無いし、外敵もおらず、感染症の心配も無い。病気になってもすぐに治療を受けることが出来る。得てして家猫は長寿で、今のエドざむらいの年齢である三歳という年齢は、野良猫の平均寿命だそうである。野良であれば彼はもう死んでいる。
 しかしながら、果たしてこれは幸せなのだろうか。例えば、私は煙草を吸うし、たまに酒も飲む。コンビニに行けば嗜好品が数え切れないほどあるし、そしてその全て、手に入れることが出来る。室内飼いの猫というのは、つまり(ウチのが病気というのもあるが)入院しているのと同義であるようにも思う。遊んであげたりするのも、リハビリ程度のものだろう。本当は退屈で辛いのかもしれない。
 幸いエドざむらいはと言えば、私にべったりで、数日ホテルに預けただけでストレスで毛が抜け落ちてしまうし、一晩中鳴いていたそうである。以前脱走した時も、痩せてガリガリになって帰ってきた。外の世界に順応できなかったのであろう。果たして先に私の方が先に死んでしまう様な事があったら彼はどうするのだろう。一応実家で飼ってくれと伝えてはあるが、実家での様子を見るに、なかなか懐きそうに無い。
 自分自身に対してもそうであるが、結局の所、彼が幸せかどうかなんて私には分からない。全て自己満足に過ぎないかもしれないし、満更でも無く思ってるかもしれないし、とくに思う所は無いのかも知れない。『ぃぃゃ、ウチの子は絶対に幸せに決まってるわッ。』なんて言い切れる人が居たら尊敬する。
 せめて死ぬ前にでも一言話してはくれないだろうか、それが私の望んでいる答えであっても、そうでなくても。